【床屋のおじさんと猫】

文・T.Hさん/イラスト・みのり

猫の絵


  高校生の頃、行きつけだった床屋に赤茶色の猫がいた。

名前はもう忘れてしまったけれど、ただ、よく覚えているのは、

その猫の前足のどちらかが、甲の所でつぶれて変な形をしていたということと、

とても人なつっこい猫だったということ。

順番待ちをしている僕にとっては、いい遊び相手だった。


  その店のおじさんは、あまりしゃべる人ではなかった。

一緒に手伝っている奥さんが、よくしゃべり、よく笑う人だったので、

よけいに、おじさんが無口に感じられた。

時々、ソファーに座ろうとする猫を毛がつくからと言って怒るくらいで、

あとは、ほとんど黙っていることが多かった。



  その日も、いつものようにおじさんは黙って僕の伸びた髪にハサミをあてた。

すると、隣で奥さんと話していた男の客がふいに聞いた。


「なんで、ここの猫は片足が潰れとるとね?」


僕も一度聞いてみようと思っていたことだったので、おもわず耳を傾けた。


「あー、あの足ね・・」

そう言いかけて奥さんは、おじさんの方をチラッと見た。

おじさんは、なにも聞いてないという感じで、ハサミを動かしている。


「あれ、ねー・・うちの人が車でひいたとよ。」

内緒話でもするように、指を口元にあてて、ささやくように奥さんは言った。


「えっ、なんねー、犯人はご主人ねーー!!」


客は笑いながら、おじさんの方を見た。

僕もとっさに鏡越しに映ったおじさんの顔を見た。

でも、おじさんは少し笑って頷いただけで、また、元の顔に戻った。


「うん、そうそう。うちの人がね、ガレージから出ようとしたら、

あの猫が急に飛び出して来てね・・うちの人が慌てて車から降りた時には、

もう、うずくまったまんまで、みゃーみゃー泣きよったって・・・」


「それで、どうしたと?」


その客は興味ありげに聞いた。


「そしたらね、うちの人がすぐに駅前の動物病院に連れていったと。」

「でも、その時はまだ野良猫やったとよー。」

「野良猫を病院に連れて行くっちゃけん、うちの人も、ほんと人の良かって言うか、

なんていうか・・・。」

「それからここで飼うようになったと。だって、病院代のもったいないやろー?」

そう言うとおばさんは、カラカラと笑った。


僕は、おじさんの顔を見た。

やっぱり黙ったままだった。


帰り際、それまで姿を見せなかった猫が、ドアをあけるのと同時に外から入ってきた。


そして、そのまんまソファーの上にちょんと乗っかると、ゴロンと横になった。


  「こら!!ソファーに毛の付くだろーが!!」


  そう言ったおじさんの声も、その日は優しく感じられた。




T.Hさんのホームページ【CAT'S ON MY MIND】


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