【ボスとの別れ】

文・Machineko/イラスト・みのり

猫の絵


そのころ私は、毎日朝と夕方に、カイズカイブキの大木が3本並んだ空き地で、

そこに集まる猫たちにごはんをあげていました。

空き地の向かいは駐車場でしたが、出入り口が反対側なので、

そこは人通りもなく、猫も私も安心できたのです。


いつのころからか、常連の猫たちを、

駐車場にある車の下からじっと見守る猫のいることに気が付きました。

「あなたにもあげようね。」と言って近付くと、猫は一瞬逃げるそぶりをみせました。

しかし、差し出された容器を驚いたように見つめました。

その場を離れて見ていると、猫は匂いをかぎ、急ぐでもなく、ゆうゆうと食べ始めました。

その猫はもう若くはないけれど並外れた体格で、顔には傷がたくさんあり、

やや長めの毛は、人の手には触れられたことがないようでした。

しかし、その風貌には威厳を感じさせるものがありました。

私は、いつの間にかその猫を「ボス」と呼ぶようになりました。


私が行くと、猫たちは待ちかねたように集まって来ます。

中には、早く早くとおねだりをする猫もいます。

しかし、ボスは自分から、食事をねだりに来ることはありません。

ちょっと離れたところにいて待っているか、

時には木陰に寝そべったまま動かないこともありました。

他の猫と関わることもなく、超然としていました。

それに、毎日欠かさずやってくる他の猫とは違って、

ボスは気が向いた時にしか現われませんでした。

他の猫が一瞬緊張すると、必ず周囲のどこかにその姿がありました。

そして、ヒトである私とは一定の距離を保ち、けして触らせませんでした。


こうして暮らす雄猫の例にもれず、ボスが病気にかかっているかもしれないと感じたのは、

夏の終わりのことでした。

授乳中のシロちゃんに用意してきたミルクだけをほんの少し飲みましたが、

他には何も食べたがらなかったのです。

それからは、いつ現われてもミルクしか口にしないことが多くなりました。


秋になると、めったにボスの姿を見かけることがなくなりました。

でも、みんなの食事が終わると、私は目立たないところにもう一食分とミルクを残しておきました。

ボスが来てくれることを願いながら。


年が開けると、ことの他雪が多く、

カイズカイブキの下に集まる猫の何匹かは家の猫になりました。

また、大怪我をしたシロちゃんの息子を保護して手術を受けさせ、

家に引き取って看病しているうちに、季節はどんどん過ぎていつのまにか五月になっていました。


そんなある日の夕方、いつもの通り空き地に行くと、

草むらから痩せ衰えた猫が現われて私のほうへ近付いて来ました。ボスでした。

体格がよかったぶん、そのやつれ方は痛ましいものでした。

ボスには、私の差し出した食事を食べる体力はもうありませんでした。

ミルクも飲めません。ただ、じっと座っています。

私は思い切って手を伸ばし、初めてボスに触れました。

ボスは目を閉じて動きません。

私はただただ、「ボス、ボス。」と呼びかけながら、その頭をそうっと撫で続けました。

一瞬、このまま捕まるだろうかという思いが私の心をよぎりました。

すると、ボスはよろよろと立ち上がり、また草むらへ戻ろうとするのです。


「ボス、帰るの?」


ボスは立ち止まりました。

そうして立っていることがすでに不思議なくらい弱っているのが見てとれました。

ボスは確かめるように一歩一歩草むらを目指し、その中に消えて行きました。

ボスは別れを言いに来たのだと、その時になって気が付きました。

追いかけてはいけないのだ、ということも。


ボスにはもう会えなくなりました。

でも家にいるシロちゃんの子供達の誰かはボスの子かもしれない。

そう感じる時があります。


ボスは、ほんとうに見事な猫でした。





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